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ローエングリン

Venueトリエステ・ヴェルディ劇場
Calendar金 13 11月 2026 - 日 22 11月 2026
あらすじ / 詳細

構成とあらすじ

 

第1幕

第1場

前奏曲。アントウェルペンのスヘルデ河畔。ハインリヒ王がハンガリーとの戦いのために兵を募る。そこへフリードリヒが現れ、ブラバント公国の世継ぎゴットフリートが行方不明になり、ゴットフリートの姉エルザに弟殺しの疑いがあるとして王に訴える。王はエルザを呼び出し、釈明を促す。

 

第2場

エルザは夢見心地の様子で、神に遣わされた騎士が自分の潔白を証明するために戦うと話す。王の伝令が騎士を呼び出す。すると白鳥が曳く小舟に乗って騎士が登場する。

 

第3場

騎士は、自分がエルザの夫となり領地を守ること、自分の身元や名前を決して尋ねてはならないことを告げ、エルザはこれを承諾する。「神明裁判」によって、フリードリヒと騎士は決闘し、騎士が勝利するが、フリードリヒは命を助けられる。

 

第2幕

第1場

夜のアントウェルペン城内。庭の物陰で、フリードリヒは妻オルトルートに、決闘に敗れた自分が追放処分になること、エルザに弟殺しの罪を着せるようけしかけたのはオルトルートであることをもらして、悪態をつく。オルトルートは、騎士が決闘に勝ったのは魔法を使ったためであり、名前と素性を言えと迫られるか、あるいは体の一部でも切り取れば魔法が解けるという。フリードリヒは気を取り直し、2人は『復讐の二重唱』を歌う。

 

第2場

バルコニーに現れたエルザにオルトルートは嘆いて彼女の同情を誘い、さらに騎士への疑念を吹き込む。オルトルートはキリスト教以前の神々として、男神ヴォータン、女神フライア(のちに楽劇『ニーベルングの指環』にも登場する)の名を呼ぶ。

 

第3場

夜が明けると王の伝令が現れ、フリードリヒがまがい物の力を用いて神前決闘を為したことを咎め、ブラバントから追放し、神聖ローマ帝国騎士の称号を剥奪することを宣言する。これにより、フリードリヒは、フリードリヒ・フォン・テルラムントからフリードリヒ・テルラムントになる。

続けて王の伝令は、騎士がエルザと結婚してブラバントの守護者となることを告げる。4人の貴族が東方出征への不満をもらしているところへフリードリヒが現れ、企てを話す。

 

第4場

婚礼の式のために礼拝堂へ向かうエルザ。『エルザの大聖堂への入場』の音楽。突然オルトルートが行列を阻んでエルザを罵り、素性の知れない騎士を非難する。

 

第5場

ハインリヒ王と騎士がやってくるところ、フリードリヒも群衆に向かって騎士が魔法を使っていると告発し、名前と素性を明かせと迫り、エルザは動揺する。騎士はフリードリヒらをエルザから引き離し、「自分に答えを要求できるのはエルザただひとり」だと答える。エルザは騎士の戒めを守る事を高らかに宣言したため、騎士は「さあ!神の御前に赴こう」と促し、2人は礼拝堂へと入っていく。

 

その後、姿を一人恨めしそうに見つめるオルトルート。しかし気が萎えるどころか、ますます復讐の念を強める。禍々しい者の勝利を確信した如き、不気味な音楽が流れて、幕が降りる。

 

第3幕

第1場

華々しい前奏曲のあと、『婚礼の合唱』(いわゆる「ワーグナーの結婚行進曲」)。

 

第2場

エルザと騎士は初めて二人きりになる。騎士はエルザに疑いの心を持たないように再三再四説く。しかし、エルザは次第に不安が募り、夫に対する疑念にも似た気持ちは抑えられず、とうとう騎士の素性を問い詰め、騎士は困惑する。そこへフリードリヒが仲間の貴族を率いて乱入し、エルザは即座に騎士に刀を渡す。騎士は渡された刀でフリードリヒを一撃で倒す。するとそこにむなしくも悲しい空気が静かに漂う。永遠のしあわせは瞬時に奪われた。しばらくの沈黙の後、騎士は、お付きの女官に命じてエルザを着替えさせる。

 

第3場

場面転換の間奏はトランペットとティンパニの壮大なファンファーレ。第1幕と同じスヘルデ河畔。出征を控えた王や大衆はいよいよ色づくも、エルザはうなだれて足取りも重く、続いて旧テルラムント臣下が亡主の遺骸を掲げて入場する。そこに騎士が登場するが、「皆さんと戦いに赴く事が出来ない」と宣言し、同時にエルザが禁問の戒めを破った事を訴えた。騎士は続けて、悲しみ、苦しみ、逡巡するも、力を振り絞り、ハインリヒ王の前で、「私は、自分ははるか彼方にあるモンサルヴァート城で聖杯を守護する王パルツィヴァルの息子、ローエングリンだ」と名乗る(この名乗りの歌ではLohengrinを「ローヘングリン」のように発音するのが通例である)。白鳥が小舟を曳いて迎えにやってくる。ローエングリンは角笛と刀と指輪をエルザに手渡すが、指輪だけは丁重にエルザの手の中に置いた。復讐を遂げた事に満足したオルトルートはあざ笑うが、ローエングリンが静かに祈りを捧げると、白鳥は人間に姿を変える。その白鳥こそ、ブラバントの正嗣であり、オルトルートの魔法によって行方不明にされていたゴットフリートだった。叫び声を上げて倒れるオルトルート。小舟に乗ったローエングリンは悄然として去り、エルザもまたゴットフリートの腕の中で息絶える。

 

なお、初稿では「ローエングリーンの名乗り」の後、5分程度の「グラール語り」が書かれたが、後に削除されていて、さらに実際の上演では、上述のギャラの協定によってもう5分程度カットされる。

ドイツ語上演、イタリア語・英語字幕付き

2026~27年オペラ・バレエシーズン

ローエングリン

音楽:リヒャルト・ワーグナー

キャスト

公演

指揮:ENRICO CALESSO

演出・舞台美術:ARNAUD BERNARD

共同演出:YAMAL DAS IRMICH

衣装デザイン:CARLA RICOTTI

照明デザイン:EMANUELE AGLIATI

映像デザイン:SERGIO METALLI

ドラマトゥルク:ANNA BORODINA

トリエステ・ジュゼッペ・ヴェルディ歌劇場財団による新制作

 

登場人物と出演者

ローエングリン:DMITRY KORCHAK 11月13日、15日、20日、22日

ローエングリン:DAVID DANHOLT 11月14日、21日

ブラバントのエルザ:GABRIELA SCHERER 11月13日、15日、20日、22日

ブラバントのエルザ:REGINA RIEL 11月14日、21日

オルトルート:ELENA BATOUKOVA – KERL 11月13日、15日、20日、22日

オルトルート:CARMEN TOPCIU 11月14日、21日

フリードリヒ・フォン・テルラムント:MARTIN GANTNER 11月13日、15日、20日、22日

フリードリヒ・フォン・テルラムント:LARS FOSSER 11月14日、21日

ハインリヒ・デア・フォーグラー:EVGENY STAVINSKY

国王の伝令:SEBASTIAN HOLECEK

ルートヴィヒ:LEANDRO AMATO(俳優)

合唱指揮:PAOLO LONGO

トリエステ・ジュゼッペ・ヴェルディ歌劇場財団のオーケストラ、合唱団および技術スタッフ

会場
トリエステ・ヴェルディ劇場

テアトロ・リリコ・ジュゼッペ・ヴェルディはイタリアのトリエステにあるオペラハウスで、作曲家ジュゼッペ・ヴェルディにちなんで名付けられました。私的に建設されたこの劇場は、1801年4月21日にヨハン・シモン・マイヤーの「スコットランドのジネーヴラ」の公演で、800席の小規模な「チェザーレオ・レージョ劇場」に代わる劇場としてテアトロ・ヌオーヴォとして開館しました。当初、ヌオーヴォの座席数は1,400でした。1821年にテアトロ・グランデとして知られるようになりました。

 

18世紀末までに、トリエステに新しい劇場が必要であることが明らかになりました。メインの劇場であるサンピエトロ劇場は、次第に手狭になり、ついに 1800 年に閉鎖されました。ジョヴァンニ マッテオ トマジーニがオーストリア大使館に私設劇場を建設する提案は 1795 年から行われており、1798 年 6 月には、自治体から毎年の資金が提供され、トマジーニがいくつかのボックス席の権利とその他のボックス席の販売権を保持するという契約が締結されました。ヴェネツィアのフェニーチェ劇場の建築家であるジャン アントニオ セルヴァが雇われ、彼は古典的な馬蹄形の講堂を設計しました。しかし、彼の外観デザインはオーストリア人にとってはシンプルすぎると判断され、オーストリアは別の建築家であるマッテオ ペルチを雇って問題を解決し、ミラノのスカラ座オペラハウスの要素を取り入れました。「ヌオーヴォ」は、内部はフェニーチェ劇場、外部はスカラ座を合わせたようなものになりました。

 

歴史

劇場の存続期間中に何度か名称が変更され、最初は1821年にテアトロ・グランデ[1]となり、この名前で2つのヴェルディのオペラ初演が行われました。1848年の「イル・コルサロ」(ヴェルディが1859年に結婚したソプラノのジュゼッピーナ・ストレポーニが主役)と1850年の「スティッフェリオ」(ヴェルディが監督したが、論争はなかった)です。[2] しかし、これらの初演の前に、ヴェルディのオペラがテアトロ・グランデの舞台を独占し始め、世紀が進むにつれて、プッチーニやワーグナーの作品を含むオペラレパートリーのすべての主要作品が続きました。

1861年には、私有から公有への変更によりさらに名称が変更されました。こうして劇場はテアトロ・コムナーレとなり、19世紀後半まで存続した。1881年までに、既存の立ち見スペースを利用して座席数を2,000席に増やしたが、その年の12月までに劇場は安全でないと宣言され、改修のため閉鎖された。改修中にガス灯が電気に置き換えられ、1889年に1,000席で再オープンした。

 

1901年1月にヴェルディが亡くなってから数時間後[3]、劇場は再び改名されたが、今回はジュゼッペ・ヴェルディを偲ぶためだった。1992年から1997年にかけて大規模な改修が行われ、約1,300席[4]で再オープンし、作曲家のオペラの抜粋を含む「ヴィヴァ・ヴェルディ」コンサート[3]が開催された。 (2001年から2004年にかけてのスカラ座の修復と同様に、トリエステにも臨時の代替会場がすぐに作られ、サラ・トリプコヴィッチは引き続き室内オペラやオペレッタの会場を提供しています。)

過去40年間のヴェルディ劇場のプログラムの主な特徴は、19世紀にオーストリアがこの都市を占領したことと、トリエステが1918年までイタリアの一部ではなかったという事実に由来しており、毎年夏に開催される「国際オペレッタフェスティバル」です。

この劇場では以下のオペラの世界初演が行われています: ジネヴラ ディ スコツィア 作: シモン マイヤー 1801 年 4 月 21 日 カプアのアンニーバレ アントニオ サリエリ 作 1801 年 5 月 20 日 リッチャルダ ディ エディンブルゴ 作 チェザーレ プーニ 1832 年 9 月 29 日 オットー ニコライ作 エンリコ 2 世 1839 年 11 月 26 日コルサロ ジュゼッペ・ヴェルディ作、1848年10月25日 スティッフェリオ ジュゼッペ・ヴェルディ作、1850年11月16日 ノッツェ・イストリアーネ アントニオ・スマレーリア作、1895年3月28日

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