ラ・チェネレントラ

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OCT 2026

 

チェネレントラ(シンデレラ) La Cenerentola, ossia la bonta'in trionfo

 

作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ

台本:ヤコッボ・フェレッティ(イタリア語)

初演:1817年1月25日 ローマ・ヴァッレ劇場

時所:18世紀頃、ナポリ南東のサレルノ

 

あらすじ

第1幕

第1場:18世紀のイタリア、モンテフィアスコーネ

ドン・マニフィコ男爵には実の子二人クロリンダとティスベ、それに既に亡き後妻の連れ子アンジェリーナの三人の娘がいた。姉二人は令嬢扱いでアンジェリーナは女中代わりで冷遇されていた。いつも粗末ななりの彼女は灰まみれと言う意味のチェネレントラと呼ばれていた。ここに王子ドン・ラミロの家庭教師アリドーロが乞食に扮して現れる。アリドーロは真に王子にふさわしい女性を探して国中を歩いていた。姉たちはこの乞食を追い払おうとするが、やさしいチェネレントラは同情してこっそり食べ物を与える。そこへ廷臣達が現れ、間もなく王子が妃選びの夜会に娘達を招待に来ると伝える。王子の妃選びを知った男爵はこれを利用して自分の傾いた財政を立て直そうとする。そこへ王子が侍従の服装で現れる。前もって自分の目で価値ある娘を捜しに来たのである。コーヒーを運びチェネレントラが王子と鉢合わせしてカップを落としたことから二人は仲良くなる。王子は自分は王子の家来と名乗る。王子に扮したダンディーニが娘達を舞踏会に招待するがチェネレントラは男爵が許してくれない。皆が宮殿へ向かった後、アリドーロが「正しいものは報われる」と彼女を宮殿に連れていく。

第2場:宮殿の一室

クロリンダとティスベは王子に扮するダンディーニの気を引くべく必死にご機嫌取りをしている。そこへアリドーロの力で見違えるほど美しくなったチェネレントラがベールで顔を隠し現れる。王子はすぐに気が付き胸を高鳴らせる。男爵達はチェネレントラにそっくりだと疑うが確信が持てない。

 

第2幕

第1場:宮殿の一室

チェネレントラは偽王子ダンディーニのプロポーズを、あなたのご従者を愛していると断る。喜ぶ真の王子ドン・ラミーロに腕輪の片方を渡し、左腕に同じものをつけている私の姿を見てもいやにならなかったらあなたのものになりますと言い残し宮殿を去っていく。王子は家来に扮することをやめ「誓って見つけよう」とチェネレントラを探しに出る。男爵はダンディーニが偽王子と知らされてがっかりする。

第2場:ドン・マニフィコ男爵の家

チェネレントラが灰まみれの姿で働いている。三人が帰ってくるがチェネレントラがずっと仕事をしていたと思い安心する。やがて嵐となりチェネレントラを探す王子の馬車が転倒し、王子とダンディーニがドン・マニフィコ男爵に助けを求めて入ってくる。男爵は侍従の男が本当の王子と知りまたもや驚く。椅子を持ってきたチェネレントラは、自分の愛する人が本物の王子だったことを知り、その場を逃れようとするが、王子はチェネレントラの腕輪を見て愛する人であることを確信する。驚きと感激をこめた6重唱「もつれた結び目」。王子は男爵と姉たちに許しを求めるがこの状況を素直には納得できない。王子は彼女を宮殿へ連れて帰る。

第3場:宮殿の広間

見事な衣装の王子とチェネレントラが王座につく。王妃チェネレントラは男爵と姉たちを優しく許し、アリア「悲しみと苦しみから生まれた心」を歌い上げる。

プログラムとキャスト

イタリア語上演、イタリア語・英語字幕付き。
上演時間:約3時間(休憩あり)。

 

ドラッマ・ジョコーゾ 2幕
台本:ジャコポ・フェッレッティ
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ

指揮 | スペランツァ・スカップッチ
演出 | ダミアーノ・ミケレット
美術 | パオロ・ファンティン
衣装 | アゴスティーノ・カヴァルカ
照明 | アレッサンドロ・カルレッティ

 

配役:
アンジェリーナ(シンデレラ) | アイグル・アフメトシナ (20, 23, 27) / アレクサンドラ・メテレヴァ (21, 25)
ドン・ラミーロ | ジャック・スワンソン (20, 23, 27) / ダヴィデ・モナコ (21, 25)
ダンディーニ | フロリアン・サンペイ
ドン・マニーフィコ | ジュリオ・マストロトターロ
クロリンダ | ローラ・ウリョア #
ティズベ | カネコ・サユミ #
アリドーロ | ジャンルカ・マルゲリ

サン・カルロ劇場管弦楽団および合唱団
合唱指揮 | ファブリツィオ・カッシ

ゼンパーオーパー・ドレスデン、シャンゼリゼ劇場との共同制作

サン・カルロ劇場アカデミー元研修生

サン・カルロ劇場 ナポリ

 

 

サン・カルロ劇場はイタリア・ナポリにある歌劇場で、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため1874年-1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。

サン・カルロ劇場は、ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロ によって建造された。開場は1737年11月4日、演目はピエトロ・メタスタージオ台本、ドメニコ・サッロ音楽のオペラAchille in Sciroであった。この時サッロはオーケストラの指揮も行い、幕間にはグロッサテスタの2つのバレエも演じられた。この劇場はその建築、金装飾、および豪華壮麗な青色(ブルボン家の色であった)の布張装飾で有名となった。

1816年2月12日、サン・カルロ劇場は火事により焼失するが、両シチリア王フェルディナンド1世の命により僅か10か月にして再建される。現在の建築はこの再建建築と基本的には同一であり、変化はヴェルディの提案したオーケストラ・ピットの設置(1872年)、電気照明の導入および中央シャンデリアの撤廃(1890年)、入口ロビー並びに楽屋棟の建築、に限られている。

1817年1月12日、再建された劇場はマイールの「パルテーノペの夢」(Il sogno di Partenope)で再オープンする。スタンダールはこの公演の2夜目を聴いており「ヨーロッパのどこにも、この劇場に比べ得るどころか、この劇場の素晴らしさの足許に及ぶところも存在しない。ここは人の目を眩惑し、ここは人の魂を狂喜させる」と書き記している。

1815年から1822年まで、ロッシーニはこのサン・カルロ劇場を含めたナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督であり、「オテロ」「湖上の美人」を含む9つのオペラがこの時期書かれた。

ジュゼッペ・ヴェルディもまたこの劇場と縁深い一人である。必ずしも彼の傑作とは言いがたいが、「アルツィラ」および「ルイザ・ミラー」はサン・カルロ劇場のために書かれた作品である。「仮面舞踏会」も本来はこの劇場のためのオペラだったが、スウェーデン国王が暗殺されるという筋書自体が王国であるナポリでは検閲で不許可とされ、舞台をアメリカ・ボストンに、初演地もローマに変更しての公演となった。

20世紀に入って、サン・カルロは革新的な支配人アウグスト・ラグーナを迎える。彼は1920年からの10シーズンをすべてワーグナー作品で開幕するという、当時のイタリアでは異例のプログラムを組み、またリッカルド・ザンドナーイ作曲、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ脚本のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」などの新作オペラの初演にも熱心だった。

第二次世界大戦で大きな損害がなかったことも幸いして、サン・カルロ劇場は戦後いち早くイギリスへの引越公演(1946年)を行うなど、オペラ劇場としての機能を回復した。その革新的伝統は戦後も継続し、たとえばアルバン・ベルクの「ヴォツェック」のイタリア初演(1949年、カール・ベーム指揮)などが行われている。

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