マダム・バタフライ
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三幕の日本悲劇
ルイジ・イリッカとジュゼッペ・ジャコーザによるリブレット
デビッド・ベラスコの「マダム・バタフライ」に基づく
1904年2月17日にミラノで初演
1987年6月20日にドイツ・オペラ・ベルリンで初演
3時間 / 休憩1回
イタリア語、ドイツ語と英語の字幕付き
開演45分前にドイツ語によるプレトークあり
14歳以上推奨
公演について
作品について
ピンクートン中尉は現在長崎港に停泊中のアメリカ船に配属されています。彼は15歳の芸者、蝶々さん(チョウチョウサン)という名の少女に求愛しています。彼女は貧しいながらも品位ある家の出で、愛を真剣に受け止めています。ピンクートンは「期間限定の結婚」を望んでおり、これは当時ヨーロッパの男性と芸者の間では珍しくないことでした。結婚仲介人のゴロの助けを借りて、二人の新婚旅行のための小屋を探しています。アメリカ領事のシャープレスはその決断に警告しますが、ピンクートンは聞き流し、いつか本物のアメリカ人女性と結婚する日を夢見ています。
この外国人との関係が日本の少女に及ぼす影響は深刻で、彼女は愛する者の信仰にまで改宗しました。結婚後、家族から避けられ、ピンクートンは「蝶々さん」を慰めるのに苦労します。3年が経過。蝶々さんは幼い子供と忠実な侍女スズキと共に隠遁生活を送っています。彼女はヤマドリ王子からの求婚をすべて拒否し、ピンクートンが戻ってくると固く信じています。シャープレスがピンクートンからの手紙を持って来て、彼は既にアメリカ人女性と結婚し、まもなく長崎に到着すると伝えます。シャープレスはその関係に子供が生まれていることにショックを受け、新妻ケイトのことを言い出せません。蝶々さんは嬉しそうに家を飾り、花嫁衣裳を着て愛しい夫を待ちます。ピンクートンがケイトと領事と共に現れると、スズキは全ての真実を知らされ、蝶々さんに子供を渡すよう説得する役目を負います。ピンクートンは蝶々さんと向き合うことができず、対面を避けます。蝶々さんは他の女性を見て、ピンクートンが滞在するためではなく、子供を連れて行くために来たことを悟ります。彼女は息子に別れを告げるための30分を求め、その後自ら命を絶ちます。
あらすじ
時と場所:1904年の長崎。
第1幕
アメリカ海軍の戦艦エイブラハム・リンカーン所属の海軍士官ピンカートン(Pinkerton)は日本人の少女と結婚することになった。
結婚斡旋屋のゴロー(Goro)が、長崎にきたピンカートンに、結婚後に暮らす丘の麓の家や、下女のスズキ(Suzuki)や下男を紹介して機嫌を取っている。
そこへ駐長崎領事のシャープレス(Sharpless)がやってくる。ピンカートンはここでアリア「ヤンキーは世界のどこへ行っても」を歌う。シャープレスは優しい心の男であり、ゴローが紹介した少女がこの結婚が永久の縁と堅く信じていることを思い出し、戸惑う。だがピンカートンは、この結婚も一時の愛だとシャープレスの危惧を一笑に付すのであった。
そこへ蝶々さん(Cio-Cio-San)が芸者仲間とともに現れる。このとき「さあ一足よ」を歌う。シャープレスが可憐なこの15歳の少女に身の上を問うと、実家は大村の没落士族の家であると答え、父から頂いた切腹のための刀の入った箱を披露する。それにより、座は一時しらけてしまうが、ゴローによって結婚式の準備が進められる。蝶々さんは前日にキリスト教に改宗したことを告げる。 三々九度など一連の結婚の儀式が済んだ頃、蝶々さんの叔父のボンゾ(Bonze)が現れる。彼は蝶々さんの改宗を怒って詰問するが、ピンカートンに追い払われる。うろたえる蝶々さんを慰めるピンカートン。2人はここで愛の二重唱「可愛がってくださいね」を歌う。
第2幕
結婚式から3年が過ぎた。ピンカートンは任務が終わり、アメリカ合衆国に帰ってしまっていた。彼は蝶々さんに「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」と約束していた。蝶々さんの忠実な下女スズキは彼は既にそれらを反故にしたのではと疑うが、ピンカートンを信頼する蝶々さんにとがめられる。 きっと夫は帰ってくると信じてやまぬ蝶々さんは、ここでアリア「ある晴れた日に」を歌う。
その頃、シャープレスはピンカートンがアメリカ本国でアメリカ人女性と結婚したことを本人の代わりに蝶々さんに告げることになっていた。しかし蝶々さんの夫への信頼を見た彼は、それを壊すようなことはできなかった。蝶々さんはピンカートンの手紙を見て喜ぶ。そこへゴローが裕福な紳士ヤマドリ公(Prince Yamadori)を連れてやってくる。ヤマドリ公は蝶々さんに結婚を申し出るが、夫からの手紙に喜んでいる蝶々さんはそれを拒否する。ゴローは蝶々さんは離婚された妻であると説明しようとしたが、蝶々さんは激しく断る。「それは日本の習慣に過ぎない。今の私はアメリカ人である」と。ゴローとヤマドリ公がすごすごと帰ってしまうと、シャープレスと蝶々さんは「友よ、見つけて」を歌う。
そして、シャープレスがピンカートンが帰ってこなければどうするのか、と蝶々さんに問うと、芸者に戻るか、自刃するしかないと答え、困惑したシャープレスが「ヤマドリ公の申し出を受けてはどうか」と勧めると、「あなたまでがそんなことを言うのか」と怒り、シャープレスに彼女とピンカートンとの子供を見せ、「わが夫がこの子を忘れようか」と言い放ち、「子供のために芸者に戻って恥を晒すよりは死を選ぶわ」と泣き叫ぶ。シャープレスはいたたまれずに去っていく。
スズキは蝶々さんの悪評を拡げようとするゴローを捕まえる。蝶々さんにとって悪い話が次々と届く中、遠くにピンカートンの所属艦エイブラハム・リンカーンが兵員の到来を礼砲で告げた。それを望遠鏡で見つけた蝶々さんとスズキは喜び、家を花で飾り、二重唱「桜の枝を揺さぶって」を歌う。そして自分達と子供を盛装させ、障子を通して、ピンカートンの帰りを凝視する。夜が過ぎ、長いオーケストラとのハミングコーラスのパッセージが演奏される中、スズキと子供は眠ってしまう。蝶々さんは決して後悔していなかった。
第3幕
夜が明けた蝶々さんの家。蝶々さんは寝ずの番をしていた。スズキは目覚め、子供を蝶々さんのもとへ連れて行く。スズキは憔悴した蝶々さんを休むよう説き伏せる。ピンカートンとシャープレスが登場し、スズキに恐るべき真実を告げる。しかし、ピンカートンは罪悪感によって深く打ちひしがれ、自身を恥じていた。余りに卑劣なことで自分の口から蝶々さんに告げることはできず、彼は義務を放り出して去ってしまう。このときピンカートンはアリア「さらば愛の巣」を歌う。スズキは、はじめは猛烈に怒っていたが、シャープレスから、蝶々さんが子供を渡してくれれば、ピンカートンのアメリカ人妻がその子を養育するということを聞き、説き伏せられてしまう。
蝶々さんはピンカートンと会えると思い、目を輝かせて登場する。しかしピンカートンの代わりに彼のアメリカでの妻ケイト(Kate Pinkerton)と対面させられる。蝶々さんは感傷的な穏やかさをたたえつつ真実を受け止め、礼儀正しくケイトを祝福した。これで平穏が見いだされるであろうと。それから、ケイトやシャープレスにお辞儀をし、子供を渡すことを約束する。そしてスズキに家の障子を全部閉めさせ一人きりになる。障子越しに侍るスズキに対しては、「子供を外で遊ばせるように」と命じて下がらせる。
蝶々さんは仏壇の前に座り、父の遺品の刀を取り出し、「名誉のために生けることかなわざりし時は、名誉のために死なん(Con onor muore chi non puo serbar vita con onore.)」の銘を読み自刃しようとするが、そこへ子供が走ってくる。蝶々さんは子供を抱きしめアリア「さよなら坊や」を歌い、子供に目隠しをし、日米の国旗を持たせる。そして、刀を喉に突き立てる。今際の際でも子供に手を伸ばす蝶々さん。そこへ異変を聞きつけたピンカートンとシャープレスが戻ってくるが、とき既に遅く、蝶々さんは息絶える。幕。
プログラムとキャスト
指揮者: ステファン・ジリアス、フリードリヒ・プレートリウス (2026年2月20日 | 2026年2月23日)
演出、舞台美術、衣装デザイン: ピエル・ルイージ・サマルタニ
合唱指揮者: トーマス・リヒター
蝶々さん(チョウチョウサン): カルメン・ジャンナッタシオ、アスミク・グリゴリアン (2026年1月7日 | 2026年1月10日)、エレナ・スティヒナ (2026年2月20日 | 2026年2月23日)
鈴木(スズキ): カリス・タッカー、マルティナ・バローニ (2026年1月7日 | 2026年1月10日)
ケイト・ピンカートン: ルーシー・ベイカー
ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン: アッティリオ・グレーザー、ドミトロ・ポポフ (2026年1月7日 | 2026年1月10日)、アンドレイ・ダニロフ (2026年2月20日 | 2026年2月23日)
シャープレス: ジョエル・アリソン、ヘルマン・オルベラ (2026年1月7日 | 2026年1月10日)
ゴロ: ブルクハルト・ウルリッヒ
山鳥王子: ヨルグ・シェルナー
ボンゼ: ポール・ミンヒョン・ロウ、ビョン・ギル・キム (2026年1月7日 | 2026年1月10日)
皇帝代理人: ナヴァサード・ハコブヤン
公式登録官: ベンジャミン・ディッカーソン
蝶々さんの母: オ・スンウン
いとこ: チェ・シンエ
伯母: 和田朝日
合唱団: ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
オーケストラ: ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
ベルリン・ドイツ・オペラ
ベルリンドイツオペラはドイツ・ベルリンのシャルロッテンブルク地区にあるオペラハウスで、ドイツ国内ではではバイエルン国立歌劇場に次ぐ2番目に大きな歌劇場です。ベルリン国立バレエ団の本拠地。
このオペラハウスの歴史は、シャルロッテンブルク地区が 「プロイセンで最も豊かな街」として独立していた時代の「シャルロッテンブルク・ドイツ歌劇場」に遡ります。 1911年よりハインリッヒ・ゼーリンク(Heinrich Seeling)によって設計され、1912年11月7日に開館され、イグナッツ・ヴァルター指揮の下ベートーベン「フィデリオ」が上演されました。 1920年ベルリン行政区新設法により、大ベルリンが設置された際、劇場の名前は1925年に「ベルリン市立歌劇場」となります。
オペラ座がナチス政権のコントロール下にあった1933年その名称は「ベルリン・ドイツ・オペラ」とされ、ベルリン州立歌劇場と覇を競い1935年に建物は座席数を減らして改築されますが1943年11月23日に爆撃を受け、破壊されてしまいます。
戦後、西ベルリンに新設され、1961年9月24日に現在の名称「ベルリン・ドイツ・オペラ」としてモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」をもって開場されます。
座席数1900