ウィーン・ヨハン・シュトラウス・オーケストラ
OCT 2025 | ||||||
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プログラムとキャスト
出演者
ウィーン・ヨハン・シュトラウス・オーケストラ
アルフレート・エシュヴェ(指揮)
プログラム
フランツ・フォン・スッペ:
オペレッタ《ボッカチオ》序曲
ヨーゼフ・シュトラウス:
《Künstler-Gruß》 フレンチ・ポルカ 作品274
《Auf Ferienreisen》 急速ポルカ 作品133
ヨハン・シュトラウス2世:
《Nordseebilder》 ワルツ 作品390
ヨーゼフ・シュトラウス:
《Aus der Ferne》 ポルカ・マズルカ 作品270
ヨハン・シュトラウス2世:
《Persischer-Marsch》 作品289
《Märchen aus dem Orient》 ワルツ 作品444
– 休憩 –
リヒャルト・ホイベルガー:
オペレッタ《オペルン・バル》序曲
ヨハン・シュトラウス2世:
《Sängerslust》 フレンチ・ポルカ 作品328
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世:
《Danse diabolique》
ヨハン・シュトラウス2世:
《Mephistos Höllenrufe》 ワルツ 作品101
ハンス・クリスチャン・ルンビュ:
《コペンハーゲン蒸気鉄道ギャロップ》
ヨーゼフ・シュトラウス:
《Vorwärts!》 急速ポルカ 作品127
《Mein Lebenslauf ist Lieb’ und Lust》 ワルツ 作品263
終演予定時刻: 13:10 頃
2025年10月26日
演奏者
ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団
ヨハネス・ヴィルドナー、指揮者
プログラム
記念コンサート - J.シュトラウス生誕200周年
ヨハン・シュトラウス二世
オペレッタ『Der Waldmeister』序曲
Leichtes Blut. ポルカ速く、作品319
Fantasieblümchen. ポルカ・マズルカ、作品241
ドナウの娘たち。ワルツ、作品427
Tritsch-Tratschポルカ、作品214
オーストリアからの挨拶。ポルカ・マズルカ、作品359
Bei uns z’Haus。ワルツ、作品361
– 休憩 –
ヨハン・シュトラウス二世
Vergnügungszug. ポルカ速く、作品281
エルベ川のほとり。ワルツ、作品477
モルダウ川のほとり。フランスのポルカ、作品366
レモンが咲くところ。ワルツ、作品364
オペラ『Ritter Pásmán』より、チャールダッシュ、作品441
皇帝ワルツ、作品437
終了予定時刻 17:30頃
ウィーン楽友協会
ウィーン楽友協会(ドイツ語:Wiener Musikverein(ヴィーナー・ムジークフェライン))は1812年設立されたオーストリア・ウィーンにあるクラシック音楽関係者による団体およびその本部の建物。日本では「楽友協会」と呼ばれることが多い。
大ホールは1870年に建設された。通称「黄金のホール」と呼ばれ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として知られる演奏会場である他、同じ建物に資料室や出版社、ベーゼンドルファー(ピアノメーカー)などが同居している。
協会の19世紀のメンバーには大作曲家ヨハネス・ブラームスなども名を連ねている。特にブラームスは協会主宰のコンサートで指揮を振り、小ホールで自身のピアノ作品の初演を行なっている。このため1937年に彼の功績を称え、小ホールが「ブラームス・ザール」と名づけられた。現在のメンバーにはロリン・マゼール、アルフレッド・ブレンデルなど。
楽友協会大ホール
「期待が如何に大きかろうとも、ひとたび足を踏み入れれば誰でも、目を奪うホールの美しさ、絢爛豪華な細部の装飾に圧倒される。」これはムジークフェラインのオープニングを報じた新聞の一節で る。落成を記念する最初のコンサートが催されたのは1870年1月6日のことで った。
実際、当時の人々が受けた印象は圧倒的なもので ったに違いない。音楽評論の法皇とも言うべきエドワルト・ハンスリックにとっても、大ホールの与える印象は強烈で、苛立った彼は「コンサートホールとしては絢爛豪華過ぎるのではないか」と問い掛けているほどで る。”至る所から黄金と色彩が沸き上がってくる…”この華麗な内装は、その豪華さに恐れをなした禁欲主義者ハンスリックが推定するように、音楽への集中を妨げるもので ろうか。それとも、今日に至るまで多くの音楽ファンが感じているように、全く反対の効果、即ち音楽への集中を助けるもので ろうか。
ブラームスホール
「誇張せず簡潔に表現すれば、これは我々が地球上で知る限り、最も美しく、最も豪華で、最も晴れがましい室内楽ホールであ る」――1993年10月、巨額を投じて修復されたブラームス・ホールが再び市民のまえに姿を現わしたとき、ウィーンのあ る日刊紙はこう評している。
大 ホールと異なり、ブラームス・ホールは歳月とともに大きく様相を変えてきた。如何なる経過で、いつごろからブラームス・ホールが1993年以前のやや寂れ た状態になったかは不明のままであ った。唯一確かだったのは、かつてのホールが全く異なる外観だったに違いないという事実だけであ る。「楽友協会新建築の工事と落成に寄せて」という記録文書の中で、当時まだ小ホールと呼ばれていたブラームス・ホールは「小さな宝石あ 」と称えられている。「愛すべき小ホールは大ホールと著しい対照を示している。その落ち着いた雰囲気とシンプルな品位は、正に特筆に価する…」
グラス・ホール/マグナ・オーディトリウム
コンサートから豪華な祝宴まで。グラス・ホール/マグナ・オーディトリウムは、4つのホールのうち最大であ るばかり でなく、最もレパートリーの広い催し物会場です。
ステージは移動式のため、極めて短時間のうちに、コンサートホールが会議センターに、映画館が舞踏会場に早変わ り。普通のステージをファッションショーの突き出し舞台に変えるもの簡単です。また大型の映像プロジェクターは、 半ば演出されたプログラムに最適です。
グラス・ホール/マグナ・オーディトリウムは、ウィーンの建築家ウィルヘルム・ホルツバウアーによって設計されまし た。高さ8mで、ギャラリーを含め380人分の席があ ります。