海賊 ウィーンバレエ

バレエ「海賊」

 

作曲:アドルフ・アダン 他

 

【あらすじ】

以下は1955年にソ連で作られたグーセフ版による。

 

プロローグ

一隻の海賊船が嵐の中を航海する場面。3人の海賊が船の沈没を避けようと奮闘しているが、あえなく難破する。

 

第1幕

舞台は、ギリシャに面した地中海のイオニア海の浜辺。海賊たちを乗せた船が嵐で難破し、海辺に打ち上げられる。そこへギリシャの娘メドゥーラと友人のギュリナーラ達が通りかかり、一緒に海賊たちを救い出す。この海賊は首領コンラッド、その友人のビルバンド、コンラッドの忠臣アリである。コンラッドは目を覚ますとそこにメドゥーラがいた。2人はお互いに惹かれあった。すると突然トルコ軍が乱入。メドゥーラ達は捕えられ、奴隷商人ランケデムに引き渡されたあと奴隷市場に連れていかれる。コンラッド・ビルバンド・アリの3人は娘たちを救うことを誓う。

場面は変わって奴隷市場、ギリシャの娘たちはトルコ総督パシャの見る前で売りに出され、美しいギュリナーラがまず買われる。メドゥーラが競売にかけられた時、奴隷を買いにきた商人に変装した海賊たちが現れ、メドゥーラを高値で引き取ろうとする。しかし、トルコ総督がおかしいと言い出したために海賊たちは正体をあらわし、メドゥーラとギリシャの娘たち、奴隷商人を連れて逃げる。

 

第2幕

洞窟で娘たちを取り返した海賊たちは宴を開いている。メドゥーラは愛するコンラッドと忠臣アリとともに嬉しそうに踊る。そこへギリシャの娘たちがメドゥーラに家に返してくれるようコンラッドにとりなしてくれ、と頼む。コンラッドはメドゥーラの願いをきき、娘たちを解放しようとするが、ビルバンド以下全員が反対する。それを押し切ってコンラッドは娘たちを解放する。コンラッドがメドゥーラと寝室へと消えたあと、奴隷商人は海賊たちにコンラッドへの報復をけしかける。ビルバンドらは睡眠薬をふりかけたバラを用意し、メドゥーラに届ける。罠とも知らずにメドゥーラはコンラッドにバラを捧げ、コンラッドは眠りに落ちる。そこへ、ビルバンドや奴隷商人ランケデムが現れ、メドゥーラが抵抗して混乱した隙にランケデムはメドゥーラを奪って逃げる。騒ぎを聞きつけたアリがかけつけるが、すでにメドゥーラ達は連れ去られた後だった。

 

第3幕

奴隷商人ランケデムから奴隷としてメドゥーラ達を買ったトルコ総督パシャの屋敷のハーレムにある花園。パシャはギュリナーラの踊りをみて満足するが、他の娘たちの踊りは気に入らない。そこへランケデムがメドゥーラを連れて現れ、パシャは早速買い取る。パシャは娘たちの衣装を着替えさせ、その間うたたねをする。夢の国では着飾った娘たちが花輪をもって花園で踊り、ギュリナーラとメドゥーラも美しい踊りを披露する。眠りから覚めると早速宴を始めるパシャ。そこへ巡礼者を装った海賊が現れ、祈りを捧げるふりをしてころあいをみて正体をあらわし、メドゥーラやギュリナーラを助け奴隷商人をこらしめ、船で逃げる。しかし船は嵐にあって沈没。コンラッドとメドゥーラは奇跡的に大岩に打ち上げられ助かるのであった。

プログラムとキャスト

チケットを購入する
DEC 2019 Next

ウィーン国立歌劇場

 

EUROPERA Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。

ご予約いただいたチケットは劇場、又はオペラ座すぐ隣に我々のオフィスでお受け取り頂けます。

又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Operring 4, A-1010, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

© Bwag/Commons
©
類似したイベント