オネーギン ウィーンバレエ

バレエ「オネーギン」は、1965年にドイツのシュトゥットガルトで初演された3幕6場のバレエ作品です。

物語はロシアの小説家プーシキンによる韻文小説「エフゲニー・オネーギン」に基づく。この作品ではオペラ「エフゲニー・オネーギン」の曲を全く使用せず、チャイコフスキーの他の楽曲を用いているのが特徴です。

 

 

【あらすじ】

 

第1幕

19世紀前半のロシア。2人の未婚の令嬢がいるラーリン家では、来るべきタチヤーナの誕生日に備えて衣装の準備に余念がない。そこへオリガの許婚であるレンスキーと、その友人オネーギンが遊びに来る。子供っぽさの残るタチヤーナは、快活で有能なオネーギンを紹介されると、その場で好きになってしまう。その晩、タチヤーナは自分の思いを長文の手紙に綴り、乳母に託してオネーギンへ届けさせる。

 

第2幕

タチヤーナの誕生パーティーは、祝いを述べる大勢の客で賑わっている。レンスキーとオネーギンも参加していたが、オネーギンは純真なタチヤーナの手紙に苛立っており、冷たい態度を取る。さらに手紙を彼女の目の前で破り捨ててしまい、その上オリガの歓心を惹こうとする。それを見たレンスキーは怒り、オネーギンに決闘を申し込んだ。最初は冗談のつもりでレンスキーを宥めていたオネーギンは、レンスキーの強い調子に引きずられ、承諾してしまう。やがてタチヤーナの見ている夜の公園で2人は撃ち合いをし、レンスキーは死ぬ。

 

第3幕

それから数年。親友を撃ち殺したオネーギンは良心の呵責に悩み、社交界に虚しさを感じて外国を放浪していたが、ようやく故郷のサンクトペテルブルクに戻ってきた。グレーミン侯爵家で久々にパーティに参加すると、奇しくも成長して侯爵夫人となっていたタチヤーナを見る。ぎこちなく挨拶をするが、タチヤーナは冷たく答えるのみだった。このときオネーギンは自分がタチヤーナを愛していたことに気づく。そしてある晩、オネーギンは侯爵宅を訪れ、タチヤーナの私室で愛を打ち明けるが…。

プログラムとキャスト

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JAN 2020

ウィーン国立歌劇場

 

EUROPERA Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。

ご予約いただいたチケットは劇場、又はオペラ座すぐ隣に我々のオフィスでお受け取り頂けます。

又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Operring 4, A-1010, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

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