バッハ・コンゾルト・ウィーン

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JUN 1970 Next

プログラムとキャスト

ルーベン・ドゥブロフスキー

ヨハン・セバスティアン・バッハ

午後7時30分~午後9時30分 ブラームスホール
パフォーマー
バッハ コンソート ウィーン
ルーベン・ドゥブロフスキー | 導体
チェン・ライス | ソプラノ
プログラム
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ:序曲第2番ロ短調 BWV1067
Johann Sebastian Bach: 私の心は血の中で泳いでいます。 カンタータ BWV199
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番 変ロ長調 BWV 1051
ヨハン・セバスティアン・バッハ:もう十分だ。 カンタータ ホ短調 BWV 82

 

22.05.2024

パフォーマー
バッハ コンソート ウィーン
ルーベン・ドゥブロフスキー | 管理
ニルス・メンケマイヤー | ビオラ
プログラム
ヴィオラ・ラティーナ
南アメリカの黒人にとって、音楽はアイデンティティの重要な場所であり、抵抗の手段でもありました。
16世紀からスペイン音楽と混ざり合ってきた彼らのリズムは、
スペインからの帰還者と共に再び大西洋を渡り、ヨーロッパ全土を徐々に征服していきます。 Johann Sebastian Bach もそれらを好んで使用していますが、もちろんそれらがどこから来たのかは知りません。

ウィーン楽友協会 ブラームスザール

「誇張せず簡潔に表現すれば、これは我々が地球上で知る限り、最も美しく、最も豪華で、最も晴れがましい室内楽ホールであ る」――1993年10月、巨額を投じて修復されたブラームス・ホールが再び市民のまえに姿を現わしたとき、ウィーンのあ る日刊紙はこう評している。

大 ホールと異なり、ブラームス・ホールは歳月とともに大きく様相を変えてきた。如何なる経過で、いつごろからブラームス・ホールが1993年以前のやや寂れ た状態になったかは不明のままであ った。唯一確かだったのは、かつてのホールが全く異なる外観だったに違いないという事実だけであ る。「楽友協会新建築の工事と落成に寄せて」という記録文書の中で、当時まだ小ホールと呼ばれていたブラームス・ホールは「小さな宝石あ 」と称えられている。「愛すべき小ホールは大ホールと著しい対照を示している。その落ち着いた雰囲気とシンプルな品位は、正に特筆に価する…」

1870 年当時の小ホールが如何なる外観であ ったか、即座に説明できる人物は全く存在しなかったが、古い資料が一条の光明をもたらした。ウィーン美術アカデミーの銅版画キャビネットで発見された2つ のオリジナルなエスキスには、極めてカラフルに装飾された小ホールが描かれていた。このことは壁面の丹念な調査により実証された。緑の壁に赤い柱、そして 豊かな黄金の装飾、これが小ホールのオリジナルな外観であ ったに違いない。それは又ブラームス・ホールの外観でもあ る。

抜本的な修復に よってホールは再び、色彩豊かな「ギリシャ風ルネサンス」へと蘇った。ヘラスと呼ばれた古代ギリシャへの傾倒は、ここでも神殿の破風、イオニア柱、カリア ティードなどに表現されている。1870年の最初のコンサートでは、クララ・シューマンが演奏した。これはヨハンネス・ブラームスの提言によるものであ った。ブラームス自身もピアニストとしてここで演奏し、彼の多くの作品がここで初演されている。こうした経緯から協会創立125周年の1937年、小ホー ルはブラームス・ホールと改称された。以来ブラームス・ホールは全世界の音楽ファンにとって歌曲および室内楽のトップアドレスとして知られている。

長さ32.50メートル、幅10.30メートル、高さ11メートル、座席数約600。偉大な兄とも言うべき大ホール同様の音響条件を備えている理想的なホールであ る。

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